「4つの定常状態、あるいは人生」
先日4/13は「箏とオーケストラの饗宴」というコンサートを観に行きました。
- プログラム
- Gubaidulina: In the Shadow of the Tree - for koto, bass koto, zheng, and orchestra (1998)
- Prokofiev: "Romeo and Juliet" suites, excerpts
- The Montagues and the Capulets
- Juliet - the Little Girl
- Death of Tybalt
- Romeo at Juliets's Grave
- 坂本龍一: 箏とオーケストラのための協奏曲(2010,沢井一恵委嘱作品、初演)
- I. still
- II. return
- III. firmament
- IV. autumn
- 演奏
ウィスキー飲みながら書いた駄文なのでお許しを。いや、普通に書いても駄文ですが。
グバイドゥーリナ:樹影にて〜アジアの箏とオーケストラのために
現代曲なだけあって、やたらと奇抜な奏法が目立曲でした。ガラス瓶を使って箏の弦をなでたり、グリッサンドしたり
気づかなかったのですが、1/4音低い調弦による楽器群があったそうです。全く気付かなかった。
現代曲について語れと言われてもなにも言えないのでこれぐらいで笑
プロコフィエフ:バレエ組曲「ロメオとジュリエット」より
最初何が起こった!?と思ってしまいました。
「モンターギュ家とキャピュレット家」の前に「騎士たちの踊り」という前奏が入っていました。これは圧巻でした。なにか宇宙の壮大さを想起させるような曲想で、あれ?プログラム変更か!?って思ってしまいました。
「モンターギュ家とキャピュレット家」での佐渡さんの指揮が結構カッコよかったです。低音で早く動くところがあるのですが、それを指揮で表現してて面白かったです。
この組曲は全然聴き込んでるわけじゃなかったので、どこで次の曲に移ったのよく把握出来ませんでした。
「タイボルトの死」とか「ジュリエットの墓の前のロメオ」とか重い感じのタイトルなのになんでこんなせわしない曲調なんだ!?とおもったのはひょっとしてまだ前の曲だったのだろうか?でも、そのあとで悲しくて重いって感じの曲なかったしなぁ…とよくわからないまま終わってしまいました。
これは原曲をちゃんと聞いた方が良さそうですね。
坂本龍一: 箏とオーケストラのための協奏曲(2010,沢井一恵委嘱作品、初演)
もちろんこれが目的です。実は前の二曲は会場に来るまで知りませんでした。チケット購入のページには何も書いてなかったので笑
僕は音楽理論とか楽式とか詳しくないのでなにも偉そうなことは書けないので、適当に初心者ぶって書きます。
さて、この曲は4楽章で成り立ってるのですが、それぞれ季節が割り振られてるそうです。
- 「4つの定常状態、あるいは人生」
- I. still
- 冬
- II. return
- 春
- III. firmament
- 夏
- IV. autumn
- 秋
- I. still
第一楽章、第二楽章、第三楽章ときて、あーーたしかに定常状態だなぁ。。。と思いました。けれども第四楽章「秋」は僕に取っては定常状態とは思えませんでした。秋という喪失の季節を最後に持ってきたのはどういう意図なのか?教授のお母さんが亡くなったことと関係があるのか?教授はメランコリニスタなのか?などと想像をふくらませてました。
とにかく、「秋」は他の3楽章と比べて気合の入れようが違ったように僕は思いました。
ひょっとしたら、自分がこういう作風が好きなだけというのもあるかも知れませんが。
さて戻って、「冬」はまさに定常状態です。オーケストラによって、なにかうごめく感じの音を常に鳴らし、そこに冬を感じさせる哀しいメロディーがたまに流れてくるという風だったと思います。そのなにかうごめく感じを作り出せる教授のセンスは素晴らしいと思います。長年の映画音楽の経験や、エレクトロニカの融合などが生かされてるのでは?と思います。
「春」は「冬」のうごめいていたものが目を出して、ウキウキと活動しているようでした。個人的にはドビュッシーの「ピアノと管弦楽のための幻想曲」を連想させられました。ハープ(?)のアルペッジョの感じが似てる!と思いました。
「夏」は夜に花火を見ている感じだなぁと思いました。なんかまったりしてていいなぁーとか。
そして最後が「秋」です。物悲しい感じが僕は好きでした。
あと、なにか書きたいことがあったきがするのですが、忘れてしまいました。
ではまた。